Sutudio for Smiling Space Mail-magazine メール・マガジン2023年8月29日号
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     *よりハッピーになる微笑む空間をつくりましょう!*

       ・-・-・ それでも前に進まなければ-その4 ・-・-・

            メリー・ローズ博物館について

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残暑お見舞い申し上げます

蝉時雨の中、冷菓から雪山を思い浮かべます。

いつも、ご笑読頂きまして、ありがとうございます。(*^o^*)

お元気ですか。(*^o^*)


こんもりとした茶畑の景観ともエコーするような、茶器の蓋を開けて、

茶杓で「つ」の字を描くように抹茶を救う感じは、なだらかな丘の新雪を思い起こさせて、

樹氷の新雪をスキーで滑る感触のようだと昔を思い出します。

 

今年の2月号の表千家月刊誌「同門」の表紙を見て、

どうして半分以上がなだらかな新雪なのかと思いながら、

ページを開けると、そこには朱色金襴手の牡丹唐草の中、駆け巡るウサギが!

青空の下、雪面の柔らかな木立の影を落とす雪山を飛び駆け巡るウサギの目線なのでした。

そうです。今年の干支は兎です。

(表千家月刊誌 同門令和5年2月号より)

その水差しの柔らかな曲線は、柔らかな日差しを感じさせもするその表紙の雪山のようで、

胴回りの手と一体になるような柔らかな曲線と、蓋とその周囲の柔らかな曲線から、

実物を観たくなり、有給休暇を取らせてもらい昭和57年に表千家短期講習会に参加したことから、

その大同窓会の日程に合わせて、この夏の初めの週末に、展示されている京都の北山会館に参りました。

品格のある存在感のみならず、写真では、

解らなかった柔らかなふくよかな深い色合いを目に出来ました。

 

その感じは、東野高校大講堂の黒磨き漆喰に合わせた、色漆喰の色合いにも通じて、

恩師、C.アレグザンダー、クリスのレリーフ・タイルや、漆喰天井にも

通じると感じたのでした。(2007年英国旅行のメルマガへリンク

  

  

(WEST DEAN GARDEN のVISITER CENTERにて)


2017年に他の設計での建設となり、今年は祝4周年のメリー・ローズ博物館ですが、

その構造と最終的に一致していった彩色天井の装飾を思い出しました。



そして、1995年米国オックスフォード大学出版の原書"THE MARY ROSE MUSEUM"の和訳版を、

クリスから叱咤激励されて、電子書籍wook、ウックで2011年に出版していましたが、

その後、運営側で学研系列部門のBeyoudPublishingへ移行されて、

2017年には採算からその部門自体が閉鎖されていました。

連絡はあった筈でしたが、後で対処しようと思いつつ、2023年夏となりました。

あの仮設作業展示施設のメリー・ローズ博物館を初めて訪れて、16年経ているのでした。

そして、博物館としては2017年には別の建物建設が決まり、その2017年の発表記事を見て、浦島太郎になったようでした。


その原書を読み返すと思い出が込み上げてきます。

クリスの言葉が、教えが、頭から離れず、和訳本の2版の出版をと願いました。

写真や図のプロポーションを大切にして、アマゾンから、ペーパーバックと、

タブレットで拡大も可能と思い、電子書籍のページ付けは、おかしなところもありますが、

より多くの人へと、クリスの哲学や思いが込められている貴重なプロジェクトの記録を届けられるようにと願っております。


思い起こすと、

大学卒業後、ゼネコンのあるプロジェクト本部に配属されましたが、

上司に恵まれて学ばせてもらえた、3年足らずでしたが、貴重な時でした。

大きなプロジェクトでも、優秀な設計担当者が、社長や所長の許しを得て、

毎日、作業する職人さん達と一緒の現場で、設計し続けていたと、

設計部の中でも話題になっていたことを思い出します。

それは、1982年か1983年くらいのことでした。

私が、アトリエ事務所へ修行に出たのが、1983年夏からで、

1984年11月に、盈進学園東野高等学校の大講堂や

体育館の建て方後を見て入所を希望し、

大講堂の照明器具の原寸部分模型や1/20の内部模型を製作し、

1985年の1月にクリスの指導の下、大講堂内装の現場実験をし、

日本環境構造センター所員となり、

1986年から1987年に大講堂の漆喰工事など2期工事が終わり、

1987年から始まり1988年にメゾン・ド・ローランが竣工し、

1989年9月にバークレー修士課程に入り、1990年に修了しました。

そうして、名古屋市の公団、県営、市営といった公的低層集合住宅計画案、白鳥計画や、

(メリー・ローズ博物館プロジェクトのお陰で実行できた)千種台集合住宅の建替工事の、

こうした国からの、中高層での建て替え工事と条件づけられた補助金のため、

高層案からの環境への悪影響を懸念し、環境を守りたい住民の願いための、

同じ与条件に合わせての低層での代替計画案を、

バークレーのCESで担当しながらでしたが、

1991年1月からメリー・ローズ博物館プロジェクトの第一期に間に合ったのでした。

建築の質に関しては、かなり理解のあるゼネコンのトップでも、

品質を保持し利益率を上げるように努める所長の努力とは別に、

建築の質を上げる為に、それを続けるのは難しい一貫して設計する、建設プロセス。

勇気も大切ですが、

入社後に利益率について学ばさせてもらえ、自由資本主義における企業としては、

政治・経済・価値観を含めて社会全体の理解、支持がベースに無いと、

実際には定着せずに長続きできないところが、

信頼感にも関わってくると、「闘っている!凄い!」と感心しつつ、1983年当時感じたことでした。


やはり、脱炭素を意識したエネルギー問題、地球環境問題をローマ会議、1970年代から意識して、

循環型経済社会の価値観で、地球の死が先にあるような悪循環にならずに、

大切に計画し、設計し、建設し続け、運営維持していく、そうしたいと素直に思えるように、

アレグザンダーの考えが普通に浸透して、当たり前になっていくのではないでしょうか。


比較的、安定している母体として、公共工事で進められるように、気まぐれではなく、

個人的な趣味ではなく、時を超えて、命を強化するような「美」を感じられる、

そうした目が、広がることが必須ではと、当代永楽作の水差しを観ながら、

利休流の神髄を学ぶことは、正しく継承しながらその心を噛み締めて、今日、尚も続く、

その長くにわたる広がりからも、希望が持てるのです。

クリスが求めた、あの構造と一体になった、メリー・ローズをダイヤモンドとしたときの台座のようなアーチを探求し、

日本の鎧甲冑一式と英国の大砲と、エリザベス1世とやり取りのあった家康で、

秀吉や、利休の時代ともかぶるチューダー朝の、

シンプルで素直な形の彩色天井を思い描くのです。


( 実のところ、写真で見る限りですが、

当時のチャールズ皇太子が求めていた感じ、数百年前の穀倉庫、グレート・コクスウェルの感じは、

北山会館で対比的に展示されていた「楽」と「永楽」の「楽」の方だったのでしょう。

素朴でのびやかで温かく洗練されていても質実剛健で大きな手を感じさせて、

覚々斎手造りの赤茶碗の土見に記されていた「象太郎」の文字の、堂々と伸び伸びと大きかったのに、

驚きましたが、当時の日本人が象を初めて見た時の衝撃が伝わってくるような字でした。

(表千家月刊誌 同門令和5年4月号より)

浄土にいらっしゃる仙厓和尚様からは、〇△□と一笑されそうですが、

最も難しいのは、求める感じを伝え探り確かめ、一致させていくことかもしれません。

実際、4年前に完成した博物館は、別の惑星から飛来したような、中で宇宙戦争に備えているような

建物に感じられました。)


そうした歴史背景や文化も、存在意義ともなる建物の役割や、

それを成立させる構造や設備の性能も、その為でもなく、

コストや建設方式や、それらすべてが統合されて一致した時の「美」が感じられますようにと、

そうして美しい命となったように、その目を、貴方の目を信じています。

小さなところでは、Do-it-yourselfで出来ていることですが。

大きなプロジェクトや、長い建設期間やコツコツ建て続けるという運営側の組織体制と、

神に捧げるガウディのようには、中々、実際、大変難しいと感じるのでした。

メリー・ローズ博物館は、公共工事に近く、必要性も高く、組織だった運営母体でしたが、

資金を出す側との政治的関係性も要だったりするのだと思い返すのでした。

今年は、別の設計の建物でオープン4周年の博物館とのことですが、未完であっても、

クリスの哲学・理念・思いが具体的に反映された重要な計画・設計・建設計画の記録として、

研究者の手元にあるのみならず、人々の手元に届き、社会的通念になればと心より願っています。

どうぞ、Amazonへ。

また、原書の増版を希望される場合は、どうぞ、こちらへ↓。
Bookstore: The Mary Rose Museum (patternlanguage.com)


それでは、次回をお楽しみに~~♪