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よりハッピーになる微笑み空間をつくりましょう!
〜〜イタリア旅行から〜〜
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緑風がさわやかな季節となりました。
ご無沙汰しておりました。
大地震に備えて、少しでも建物を補強して安心して住める家や、
道を塞がれないまちにするための一助となるようにと、
日々、努めておりましたが、昨年3月11日の大震災以来、
区の国や都からの年度予算も底をついて新規プロジェクトが保留となった3月下旬に、
自然界へ尚一層の畏怖を感じるこの頃、諸行無常、明日はどうなる身と、
念願であったイタリア旅行を決行致しました。
為替を気にしつつ・・・。
これまで、建築史を専攻していた大学時代、
特にルネッサンス期に傾倒していた3年生の夏休みにイタリア古典建築を巡礼するべきであったと
長年悔やんでいました。
「赤い影」というベニスを舞台にした建築史家を主人公にした恐怖映画の影響もあり、
また、宗教的エネルギーからの圧力や、その光の裏の影を感じて、
避けていたところもありました。
そして、改めて、今回、古典建築に惹かれて、深く傾倒したいと、
またそのライン上で新しい建築を創る姿勢でいたいと心を確かめられた旅となりました。
また、クリストファー・アレグザンダー著の
「The Nature of Order」(→ http://www.natureoforder.com/ )の中に、
生きている構造やセンターを理解する良きテキストとして挙げられている、
フィレンツエやベニスの街、
サン・マルコ広場のセンターとしての鐘楼などを確かめることも念頭にありました。
更に、再び大地震で起きる津波被害を想定して、
高台へ移転する太平洋沿岸の東北や東海地域の、例えば沼津市のコミュイニティ全体を考えると、
シエナやサンジミアーノといった中世から残る丘陵都市が思い浮かんだのでした。
ただ、漁業で成立する地域構造と、
農業や通商や金融、当時のサフランという希少価値から発展した組積造のまち、地域構造とは同一ではないにしろ、
地形を手なずけ生かして、適正規模や、水の管理やコミュニティの中心となる広場の形状や、
維持して強化して千年、更に世界遺産となってこれからも続く全体性について学べると感じたのでした。
そして、20m以上の高さの塔から畑や木々の続く丘陵が、平和で全て美しいと感じたのでした。
噴火や地震やペストや、幾たびの戦争を乗り越えて、遺跡のまま在り続けるところはあっても、
幾世代にもわたって美しい既存の生きている構造を強化しながら再生し続けるという精神が素晴らしく、
多少斜めになった外壁があっても、向かいの建物と支え合ったりして、
なんとか補強して、または300年後にはオーナメントの大理石タイルを加えたり、
より良くより全体性を強化して在り続けているのに感服したのでした。
正直なところ、
訪れて感じた衝撃や感激をなかなか適当な言葉で表現できないもどかしさを感じつつ、
脳裏に焼き付いた場所の景観や詳細や、iPadの画面を何度も観て反芻し時は過ぎました。
その内に、言葉として記憶を刻んでおかないと、ただ記憶の層となってしまうのではと、
ここに覚書しておきたいと感じました。
どうして、素晴らしいと感激できたのか、どうして、あのフィレンツの全体性が生まれて、
大聖堂周囲全体、周囲との適度なコントラストやボリューム感や広場との関係や、
ランタンを掲げる為に、クーポラのフレスコ画を見せる為に、
巷を貫けて天国を感じさせるために全てが在るのではないか、
宗教建築でも圧迫や力で屈服させられるような感じがしないのはなぜか、
まだ言葉では言い尽くさないところです。
そして、ポポロ門から入ったローマで、パンテオンに最も感激したのはなぜか、
日時計ともなっている丸屋根内部を見上げた時に、
18歳の頃、カエサルに認められたオクタビアヌスが正帝アウグストゥスとなり、
彼の右腕のアグリッパが建てハドリアヌス帝が手を入れたという時を超えた、
宇宙を感じさせるような質、本当に当時の人間が成せたのか信じられないような全体性、
大板の大理石の色美しく滑らかに、
小さな穴が渦を巻いて水を飲んでいく様子を思い浮かべながらラファエロも讃美した、
公の力から生まれ得る結果の成功例について表す言葉が、やはり見つからないのです。
そして、
フィレンツエにあるブルネレスキ作の捨て子養育院(現ユネスコ支部)の素晴らしさ等、
全て記述することは出来なくとも、
ここでベニスの「カ・ドーロ、Ca' d'Oro 」 の素晴らしさを、たとえ言葉足らずでも、
ご紹介し、或いは、既にご存じの方々と反芻できたらと願います。
ガイドブックには必ず、大運河方向からの正面、ファサード写真が載っています。
ゴールドという意味のニックネームは、実際、往時は金色に塗られていた商館であったからとコメント付きで。
現在、ティティアーノに代表されるベネチア派の絵画や元々の建物オーナメントを展示している美術館です。
その各階のバルコニーやそこからの景観に期待していましたが、
大運河と歩くのに丁度よいメインストリートの間に位置した両方向との関係性や、
その全体ボリュームの圧迫感のない心地良さにも頷けたのですが、
そのコートヤード的空間を含む全体の素晴らしさ、
沢山の強い関係性から生まれた、センターが豊かな、その存在感の強さ、
何しろその美しさに唖然としたのでした。
心地よく暮らすのに十分に優雅繊細で、いかに6世紀も前、15世紀でも洗練されていたのか、
巷からの理想郷、
栄華の時代の生きている良きエネルギーを吸収して結晶化しているような質を感じて、
金が多く用いられ外部は華麗でも、
内部の、レンガ造の建物や高塀や美しい大理石モザイクの床や壁に守られた静かさがあると同時に、
光や水の尊い美しさと、そこから抜けられる解放感と自由さから、
生きている命の質を感じ、あこがれるのでした。
青年時代の作品となったヴェロナ人、Bartolomio Bonの純な心や生きる情熱を感じて、
フィレツエのアカデミア美術館にあるミケランジェロのダビデを勝手にダブらせて想像してしまうのです。
私達の貨幣経済的価値感のご時世に、
この大理石のモザイクの質、
全く均質ではなくて統一感がある嬉しくて楽しく歌っているようなモザイクの質感の実現は無理でも、
この豊かな関係性をもった空間の子孫は、
これからも世界中で、日本で生まれ続けて、
このように日々の仕事の中に反映させることが出来たらと願うのです。
そして、英気を養って日々の仕事に戻り、いつも旅を思い出しながら、
世界遺産を維持していくのに尽力している市民の方々を讃えて感謝しつつ、
この地球上に在り続けますように、海に沈まないようにと祈ります。
更に、為替や失業率を気にしつつ次の旅を計画しながら、
大地震が起こりませんようにと祈る中で、
ルネッサンス期の人々を想い、限りある命を大切に感じ永遠に憧れるのです。
また、次回をお楽しみに〜♪