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          よりハッピーになる微笑み空間をつくりましょう!

          ***  全体性について  ***

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もうじき、コスモスが揺れる頃、

世界という全体、宇宙を思う頃となりますね。

お元気ですか。(*∩-∩*)

いつも、読んで頂いて、ありがとうございます。

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今回は、<全体性>について、

アレグザンダーが、より丁寧に説いている続きに参りましょう。

o(*^▽^*)o~♪

The Nature of Order 1」のp.96-106からです。

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http://www.natureoforder.com/

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<基本的構造としての全体性>

 「この本の中で続いていく全ては、
私が定義している全体性の存在によって占められている物質的なリアリティ、実体の、ひとつの考察なのです。

 私は、このひとつの、ある特異な構造W
つまり全体性の存在によって占められている物質的な実体の概念について、提案します。
与えられたいかなる空間の領域で、いくつかの副次的領域は、センターとしてより高い強度を持ち、
いくらかはより少ない強度を持ちます。多くの副次的領域は、より少ない強度か、全く無いのです。
一組となるいくつかのセンターの全般的な構成は、それらの比例した強さと共に、一つの構造を包含するのです。

私は、「その」領域の全体性として、この構造を定義します。

 この構造は、世界中のどこにでも存在します。それは、自然の中に存在します。
それは、建物の中に存在します。それは、芸術作品の中に存在します。
それは、空間における、ある基本的な構造であり、それは、事物の全体性か形態を包含するだけではないのです。
それは、事物を形成している、明らかな部分や要素をも包含しているのです。
私は、自然や建物や他の古くからの工芸品の佇まいは、
この構造のコンテクスト、文脈の中でのみ、理解されることが出来ると、堅く確信しています。

特に、いくつかの建物が、他よりも、より命を持っていて、
客観的により美しく満たされるという事実の客観的な認識は、ただ、この構造の文脈の中で達成できると、私は考えます。

 私は、普通の生物学的意味において、命其れ自体も、この全体性の中から創造されていると。信じます。
そして、よりメカニカル、機械的な方式で、それを説明する努力は、

最近の数十年間においてそうあったように、失敗していくでしょう。

 全体性の重要な特徴は、それはニュートラルで、シンプルに存在します。
その細部の確定は、(演繹法と帰納法の中間のような)ニュートラルな方法で、
しかし同時に、創られているかもしれません。私達は、後の章で見て行きますが、
関係して生まれる調和は、または、与えられた建物の命は、構造の内なる首尾一貫性、結合力から、
直接に理解されるかもしれません。
こうして、相対的な命、または美、或いは、世界において与えられた部分の良いところは、理解されるのです。
私は、意見や偏見や哲学への参照無しで、単に、存在している全体性のある文脈として、論じます。

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<全体性のグローバルな、全世界的な特質>

私は、まだ、全体性、Wの巨大な力を強調していません。この構造は、一つの方法で、全般的な特質を捉えますが、
それは、殆どミステリアスで、しかし、簡単には説明できない多くのことの核心に行き着きます。
これは、それがある全般的なフィールドのような、(磁)場のような、構造、つまり全世界的で、全般的な結果として、起きているのです。

それは、全体性において現われる要素または、「部分」とは、全く別なのです。
それは、私達の経験の中で、馴染みがないが、全体についての芸術的直観として、
度々、
考えられている何かと、捉えられています。


 私は、マティスによる、かの有名な自画像のエッセイの中で顕れているものよりも、
これをより明確にしているものを、知りません。
彼は、ある人間の顔の特質は、顔にある深い、人にある深い何かであり、
いわゆる部分的な顔立ちによって捉えられるものでは全くないという事実について、語っています。
この彼の要点のために、彼の自画像である4つのドローイングを見せています。
それらの絵は、以下に紹介しますが、驚くべきものです。いわゆる、顔かたちは、それぞれの絵で異なっています。
ひとつの絵では、頬が弱く、別の絵では、とても強い顎です。ひとつの絵では、大きなローマ人的鼻ですが、
別のでは小さくでずんぐりした鼻です。ひとつの絵では、両目が離れていますが、別の絵では、両目が近づいています。
しかし、四枚の絵のそれぞれ四つの顔は、紛れも無い顔、ヘンリ・マチスの特質を見ているのです。
マティスの言うことには、特質は、顔かたちよりも、より深い何かということです。
それは、顔かたちの上に重なって存在する内なる事物です。

そして、更に、それは、顔かたちに拠ることはないのです。世界で何が起きているのでしょうか。
マティスが見ているものは何ですか。各々の絵で顔かたちは、かなり異なるのに、どのように私達はマティスの顔と見ているのでしょう。

マティスがよく見ている、しかし私達がハッキリと見ることにつまづいてしまう、ある人の顔にある、
この捉えどころの無い「特徴:性格」は、何でしょうか。

 その答えは、この「特徴:性格」が全体性であるということです。
それは、その顔の、全体に行き渡るベクトル(方向量)で、全体に行き渡る質的構造で、
全体に行き渡るフィールド効果(磁場が成し得る結果)それは、顔の持つ、ひとつの全世界的なパターンのような面で、
そしてそれは、四つの絵全てにおいて同じなのです。この全体性について、どのように述べましょうか。
それは、広い額、それに続くやぶ睨みの目、そして下の方へ集中が広がって、口のあたりのポイントに到っているのです。
そして下部もですが、口髭、顎などですが、どうにかして、再び外へと広がるのです。
私達は、この種の全体に行き渡る構造を記述するための易しい言葉を持っていません。
しかし、それは本当に、全体性のために任を果たしているセンターらの、全てに行き渡る構造です。
そうして、これが考察されると、それらの四つの絵は同じです。そして、勿論、マティスの写真においても同じです。
なぜなら、それが、実際に彼の顔にある何かだからです。
この顔の全体性は、全て四つの絵に共通している事で、四つの絵で異なっているものは含んでいないのです。
こうして、この全体性は、かなり多様な部分的特徴と共に、作られているにもかかわらず、
どの絵も、マティスの実際の顔の全体性を正確に映しているのです。

この定義は、いかに全体性が、全世界的な事であるかを、明らかにしています。
それは、容易く感じますが、おそらく、明確にするのは難しいのです。貴方が、この内在している全体性を見ることが出来なければ、
一人の人のポートレイト、肖像を正しく得ることは出来ないのです。
正確に特徴を描くことは、ある肖像を成すのに必要なことではないのです。
何人の芸術家が、肖像画を初めに試みるに、もどかしくもなんとかして、これを見つけ出すことなのです。
もしも、貴方が、ある人物を描きたいのなら、全体性を描かなくてはならないのです。他に、それらしいと感じることはないのです。

肖像画で、建築において、それは、全体性で、それは表面下に横たわって、全てを決定する本当の事なのです。」と、
感じ取りやすく、理解しやすい大変興味深い例を挙げて、

アレグザンダーは説いています。

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そして、科学的論拠から、私達の時代らしく、理解を深めて頂きたく、次に続きます。 

<物理学の基本的部分としての全体性>

「建築や芸術をはるかに超えて広がる世界の作用を支配する根本的な基底層として、
全体性によって、極めて重要な部分が、働かされているのです。最も難しい科学、現代物理学においてさえ、
スリットの幾何学的パターンを通り抜けて、飛んでいるひとつの量子により取られた経路、道筋を明らかにするという例など、
それは電子にクラシカルな力が作用するというのみではなく、フィールドの全体性により支配されていたのですが、
最もメカニカルなイベントを示してきた20世紀の間に、こうした革新的な実験が成されたのです。

P1はスリット1を開けてスリット2を閉じた結果、P2はスリット1を閉じてスリット2を開けた結果が、そのまま出て理解できますが、
P12では、スリット1とスリット2が共に開いていても、
クラシカルな力の作用を意識した目からすると、その結果はスリットの開閉に関係ないようですね。)
 

 20世紀における最も困惑する実験のひとつは、その二本のスリットの実験です。この実験において、
電子は二本のスリットを通り抜け、壁に着くのですが、実験は、スクリーン上の異なる点に着地する電子を論点としています。
結論として示しているのは、壁に着地している電子のパターンは、
電子に作用しているメカニカルな力の通常のクラシカルなピクチャー、概念によっては説明することが出来ないということです。

 物理学は、実験の配置の全体性により、どうにかして、電子は導かれていると結論を出しています。
数学も、よく理解されています。しかし、物理学的解釈は、今日でさえ、理解されていません。
全体性が理解される方法の分析と解釈が、同意されていないにもかかわらず、実験の特別な配置により、
創造されるセンターらのシステム、組織として、私達が既に定義している同じ全体性と、
本質的に、この電子の動きの原因である全体性が同じであると考えるのに、しっかりとした理由があります。
最も注目に値するのは、電磁場と伝統的な原子力により起因される如何なるメカニカルな結果の上に存在するというその在り方の中で、
この全体性が、電子の動きに影響するということです。
こうして、全体性は、エネルギーに変換できる物質の作用を支配するのに働くという根本的な部分を持っているのです。

この実験のより詳細と、全体性という用語の解釈は、付録5にあります。
(どうぞ、こちらから、ご購入を→http://www.natureoforder.com/ )
しかし、読者の為の本質的なポイントは、建築や芸術品といった物に内在する原因となる構造だけではなく、
素粒子、電子の動き、振る舞いでさえ、この全体性に支配されていて、
空間のどこかの部分にあるセンターらのパターンとして定義される、この全体性を認識するということです。
全体性は、全てのスケールで作用している、本当に広く浸透している構造なのです。」と、
アレグザンダーは述べています。

<全ての命ある空間に内在する基底としての全体性>

「心理学にしても、芸術、物理学の事柄における全体性の力を見ながら、
私達はその潜在力をうすうす感じて、いくらかの兆候を掴みます。世界で何が起きているのか多くをつかむ鍵で、
勿論、建物の中で起きることをつかむ確かな鍵です。世界の本当の特徴は、新鮮で、幾何学的センターらによって支配されているのです。

 下の写真に描かれている街路をご覧なさい。
この瞬間におけるその命の源、その性質の基は何か。
それは、沿道の水のパターンであり、街路にある入り口のステップや窓と一緒に、それらが形成しているセンターらです。
それらのことは、名前が無いのですが、その命が発するところの全体性なのです。・・・・

伝統的な日本空間では、小さな庭、橋、床上の畳、引き戸である障子や襖があります。
それらが、伝統的日本として特徴的であり、(全体性を形成する)センターらなのです。

インドでは、地面に座るのが居心地良く、公共の駅ででも、地面の所有意識故なのですが、それは西洋では馴染みが無いものです。
こうしたセンターは、各文化にとって典型的で、社会や築かれた世界において、センターらが、定義されます。
こうして、インドというひとつの文化の事実が、駅舎であろうが地面の上に座ったり、寝そべったりする人々、
そして下の写真では、森の中で同じフィーリングを感じるいくつかのセンターがあるという事実にあるのです。
それらが、インドの特徴なのです。二つの写真の光景が、こうしたセンターによって、形成されています。
人々は、説話を聴いている間、公共空間で、座り込んで、横たわっています。
森では、木々の空間はゆったりとして、涼風になびくサリーとそれらが形成するその空間です。
これは、インドに特別な本質と特徴を与える無数のもののひとつです。

人間社会において、与えられた空間の部分の全体性は、いつも文化的環境を含んでいます。
インドでは、全体性は、人々が、地面に座ったり、しゃがみ込んだり、寝そべったりする、広く浸透しているセンターの存在を含んでいます。
アメリカでは、これは、異常で、若しも人がそうしたなら、捕まってぶち込まれるでしょう。

こうしたことは、全て全体性に拠るのです。・・・・

それは、世界の中で私達が経験する文化的多様性を支配し定義する、特徴的なセンターらのシステムです。

ひとつの大きな建物の中で、構成を考えるに、アプローチ、庭、エントランス、メイン・ルーム、
主たる構造、ドア、窓、天井、椅子、部屋から部屋への動きの特徴、与えられた部屋の空間的特徴と、
この全ては、センターらによって与えられるのです。
そこで起こる生活は、社会的生活は、集まったり、議論したり、私的な会話、個々の仕事場、座る場所、食事、歓待したり別れを惜しむ場、
全て、これも建物のセンターらの中で形成されます。

 ハギア・ソフィアの中をご覧なさい。私達が観察する首尾一貫した実体のひとつのシステムは、光線です。
それらのセンターは、変化しています。太陽の動きのため、光線は動きます。
センターらは、現れたり、消えたりと、束の間で、限りあって、絶え間なく変化しています。
それらのセンターらを形成する同質性は、微妙です。その材料や空気は、空間を通じてずっと続いています。
しかし、空気に流れるいくらかの塵の粒子は、光をつかんで、光の粒子が光線を形成させて、
空間における空気を横切り、照らしているのです。

この例は、建築における私達の考えを拡げるものであり、
なぜなら、私達が、この種の、転換という出来事のようなセンターらが、建物の在り方として計り知れない役割を果たしていて、
柱や床のようにもっと顕著に固定された要素として働きを成していると、認識するからです。」と、
アレグザンダーは、実感として掴める様に、更に多くの例を挙げています。
(どうぞ、ご購入はこちらへ。http://www.natureoforder.com/ 

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そして、アレグザンダーは全体性について、謎解きの答えを明かし、結びます。

<命は、全体性から直接やって来るのです。>

「私達が定義している全体性の本質は、中立的です。シンプルに存在します。
世界の各場所に、自然な住まいや、生態系や、建物や、素材や、行動や出来事に、いかなる瞬間にも、
いくらかの与えられた全体性があります。それは、いくらか明らかで、よく特徴づけられた、
世界の部分の構成を創造するセンターらのシステムです。
そして、全体性は、
いつも、その場所が良いか悪いかにかかわらず、
死んでいるか、生きているかに拘り無く、何らかの形に存在しています。・・・・・・・・・・・・・

この中立的な全体性は、如何なる時も、建物内で、草原で、街路でも、全ての場所の表面下に横たわり、自然な命の発する源です。
全体性は、センターらが相互に噛み合って、影響し合って相互作用し、ひとつの統合を形成するために結合して、
こうしたセンターの在り方の特徴的な詳細から、命は起こって来るのです。
この全体性の性質を把握する学術的な難題は、私達に命の源を与えることにより、報われるのです。」と。

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 お疲れ様です。<(_ _)>

脳裏で、電子が動き、美しい光線がゆっくりと絶え間なく動いている状態のような、

コスモスが草原で涼しげに揺れ続けるような、

余韻楽しんで頂けたら、ハッピー\(*^▽^*)

 どうぞ、次回をお楽しみに〜〜〜(∩o∩)ノ

 それでは(*^^)/~~

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