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********* よりハッピーになる微笑み空間をつくりましょう!! ***********
====まちづくりと土木工事====
2008年11月26日
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初冬の頃、空気が澄んで、星に願いをしたくなるこの頃です。
お元気ですか。
いつも、読んで頂き、ありがとうございます。
田端駅から不忍通りに向かって登ると、前にご紹介した赤札仁王尊のある、
上野の不忍池の弁天様から、谷中、田端へと続く七福神の福禄寿がある東覚寺と隣接して、
八幡神社が、地域を見渡せる丘の頂上に位置していて、
そこから辺りは鎮守の森であったと想われる所は、
寺の墓地と住宅があり、崖下は田端駅前通りになっている。
その神社のお社の前から、鳥居を通して、昔からの動線が元々の地形に沿って推察される。
その周辺は、都の土地区画整理事業内でもあるが、住民反対もあり暗礁に乗り上げた経緯もあるが、
寺社の敷地を削りながらその前を通る都市計画道路の事業が決定し、着々と進められている。
その寺院の門から垣間見えるビルの、区画整理事業のための建替工事計画に数年前から関っている。
その敷地の表側は田端駅前通りで、裏側は、半分は木造密集地域でも、残りは古い低層木造住宅で、
鯉が泳ぐ池のあるゆったりした緑の深い庭であった。
その隣も豪邸の庭で、更に目線を延ばすと寺の門の脇、つまり赤札仁王尊と鳥居の間に届くのが、
旧5階建てビルの屋上から確かめられていた。
建物は地域と密接で、地域をより良くして建物もより良く輝き、建物が地域の空間を形成するという、
部分と全体の一体の関係を尊重してこそ、全体性という命の健やかさを増すことが出来る。
地区と周辺の200分の1の模型から、既存の骨格と土地区画整理事業の設計図を見比べて、
東京湾水面を基準とした海抜高さも確認し、昨年10月の都の工事説明会で、
地区内は緩やかな斜面で、擁壁は無しで済み、
在ってもせいぜい30cmくらいの高さを調整する既製コンクリート擁壁ブロックを採用して
レベル差を吸収できるとのことであった。
ステップで一段か二段であれば、地区をより良くする為の可能性としての毛細血管のような路地通路にとっては、
神社に向かって極緩やかに上るスロープで吸収できる段差であった。
一方で、都市計画道路が、長年、地域の中心、センターであった寺社が、地域から分断されることを懸念し、
アイデンティティや文化喪失につながり、観光都市にも成り得ない、
表相的な商業志向と格差を助長し荒廃を招く近い過去に経験してきた都市計画の影に覆われることを恐れ、
「過去と未来をつなぎたい」と上記の模型を英国に持参して、C・アレグザンダーへ教えを願った。
直ぐに理解してくれて、次の日には、
「これができたら、今以上によくなるぞ。これが出来たら、自分が何か日本にして上げられることが、出来たことになる」と
私の問いへの応答に加えて言われたことを、忘れられない。
それを、どのようにして、実現への道筋をつけていくか・・・。
昨年10月の大会の城北地域会とJIAの都市デザイン部会で少し相談し、
事業主と成り得る、または事業化をコントロールできる都へアプローチを試みたいと願いつつ、
好ましくも法改正後の厳格基準と手続き、個々のプロジェクト・フローの変化、
事業主相互の利害関係、建設費高騰(ボヤキ〜)と荒波に乗って未だ航海中・・・。
それは、4つのポイントがある。
1.赤札仁王尊と都市計画道路の間に、適切な空間を取り、
特に鳥居の前の道路は関係者のみとし、通過交通にせず、広場的にすること。
2.赤札仁王尊の向かいの敷地は、数年は続く都の事業計画地となっているが、
そこに、なんらかの施設か、公園とし、
調度、赤札仁王尊に守られているお堂の大きさと形と屋根の形状を
そのまま対称となるようにデザインすることだった。
施設の一部分かもしれないし、公園の東屋かもしれない。
重要なのは、例の秩序の本質に貢献する「15の幾何学的性質」の対称性の持つ効果、
「糊、のり」の役割を用いるのだ。
それで、都市計画道で単に分断されないように、つなぐのだ。
故に、高層棟の塔屋がその大きさ形状でも意味が無い。
人が立って、目線で感じられるような、つなぎ効果を意図している。
3. そして、その「のり」の効果を強化するように、
都市計画道路上を何本も人が通れる交差路を用意する。
4. 当然のことながら、元々の参道と感じられるところは、
建物に形作られる歩道、路地として、こうした交差路につながる。
そして現在、地域のための私への課題は、
地域内で土地区画整理事業ですっかり消えてしまった毛細血管のような路地をより良く蘇らせて、
人の目が届く、より安心で強固な地域社会、コミュニティの生活空間を構築できる素をつくること。
そして、それがあってこそ、計画設計中の建物の存在も強まるであろう。
土地の所有権や建替計画が潜行する中、我が国、東京23区において当然ながら、
公権力により公開空地は確保となるが、後は1cmたりとも譲れず、実際にあったことだが、
不法占拠者に入る余地を残さない為にと、しっかりフェンスとロック付きドアを設置することとなった。
建物に囲まれるスペースは、いわゆる法定道路のみで、
後は、個々の建物とフェンスか塀とドアで囲まれる隙間のみとなる。
それでも都からの、土地の引渡しが終わって、建物が新たに建っていく中で、
既存の地区計画を強化する可能性も考えられていた。
実際、公開空地として、前面道路沿いに設けるのではなく、
地区計画によって裏側に外部空間、路地を確保すれば、各敷地、ロットが、
2面に道路に面し消防避難上の2方向避難に有効となる。
実際の生活上も、商業地域ではファサードとサービス側、業務志向側と地域生活側と、
一つの敷地内でのプランニングに反映されて、景観的にも貢献できることとなる。
例えば、本来の前面道路は確保した上での背面道路として、消防車が着く道路から20メートル以内で、
3メートル〜1.5メートル幅の路地であっても、無いよりは安全で、
境界は生垣のみとして、自動車通行不可の安心安全な路地となり得る。
しかし、土地区画整理事業の工事も予定通りに進まず、中断したり、延期したり、
担当工事業者が変ったりと困難な状況で、土木工事も当初の計画通りではなく、
昨年10月の工事説明会内容とは、大きく異なる実際の結果となった。
またその説明も、「関係ないでしょ」という感で、
土地区画整理事業法第76条許可申請のための事前相談などに数回行った時も、
敷地の隣地境界線上でのレベル差の変更については、何も話がなかった。
そして、工事終了時、昨年の10月の工事説明会での担当所長とは替わっていた。
それが、土地区画整理事業工事の囲いが外されると、せいぜい30cm以内のレベル差ではなくて、
北西は116cmのレベル差であった。
そして、他の部分をみると、
例の既製擁壁コンクリートは用いられずに綺麗に盛土のみで15cmか10cmほどのレベル差がつけられていた。
これは自然な感じなのだが、地域のレベル差を一箇所、1つのラインで吸収したのであった。
それは一つの地区全体にとっては、大きな違いである。
つまり、参道であったところの骨格を蘇させようとしていたものが、完全に命を絶たれた感で、
地形から生まれている景観として、地域との有機的な関係を持っていた寺社の存在感は自ずと弱まり、
又もや無機的な公共工事が地域を分断し既存の地域社会構造を尊重せずに壊す方向で、
より良く地域に活かされる可能性は弱まったと感じざるを得ない。
結果として、深く根付いた文化、地縁社会、地域社会、コミュニティが弱体化する可能性や、
それの反映として経済状況に翻弄される商業主義に飲み込まれ、
格差社会の助長、安全を脅かされる荒廃をもたらす危険性があると懸念される。
一つの例であるが、
実際、土木工事で形作られる地区の骨格、ハードが、実際的な事業の工事状況の中で、
説明も無しに変えられて、過去から未来につなげる、より良くするまちづくり、ソフトに多大な影響を及ぼす。
そうした個々の積み重ねが、公共投資はしても全体を構成する部分である地域社会にとっては破壊的であり、
そうした結果を巷で見続けている住民は、結果的に都市の荒廃を招くのではと自ずと疑い、
なかなか受け入れがたく感じるのだ。
なかなか歓迎されない故に、それが多大な事業予算という結果にも結びついていると実感している。
逆の可能性としては、こうした莫大な公共投資を注ぎ込む公共事業が、
事故予防型電気自動車又はハイブリット車を対象とした次世代都市計画道路が、
防災上の課題とされる密集地の土地区画整理事業が、
戦後の復興で既存の文化の衰退や車両通行優先の杜撰な結果となった安心して暮らせない安全ではない地域、
その感覚麻痺した景観を、より良くする絶好の機会であると捉え、
全ての分野をまとめていくのに、深い意味での「美」という価値を拠り所とする「景観」づくりとして、
個々のプロジェクトを各事業主が認識して実施する制度、能動的なドイツ的な地区計画ではなく、
より受動的なの日本人に適した制度が求められるのではないだろうか。
近隣の計画を、互いに知って、各々が一つの街路、一つの路地、一つの広場空間を形成していく、
つくっていける環境づくりとなる制度である。
やはり公権力が必要であるが、より各々を誘導、活動し易い機関が支援し、
都市計画事業、個々の建替え事業、まちづくりが、一体としてより大きな全体に貢献できるような、
桂離宮のような繊細さを持って作庭のように出来たら、
美しい景観、「美しい都市環境」も夢だけではなく、実現できるのではないだろうか。
数年前、都知事が就任後、都の景観についてもらした本音、
「日本の都市の様相は吐き気を催すような」との言葉に納得するところもあり、記憶に残っている。
戦後の復興を乗り越えて、短期的回転の経済に偏向し、
日本橋に象徴されるよな自虐的な文化喪失モラトリアムから脱して、
都市計画、土木、建築、社会工学等と、連携していく流れに向かっているのではないだろうか。
日本人の美への感覚は深く、大規模な商業的な観光開発はワザとらしいと嫌悪感を持ち、
それが、自ずと海外からの尊敬や憧憬を受け、自然と地形と営みと歴史から生まれる、
時を超えた質で輝く東京を、都市の耐震化を進めながら描き、実現化できたらと・・・・。
観光立国の仲間入りをしたとしても観光化されない日本、観光化されない京都(既に遅いが取り戻したい)を大切に思う。
都市計画道路や、区画整理事業など、大規模な公共事業、民間事業が地域の最大のチャンスとなる。
「(戦後の都市環境状況から)こうしたら今までよりも、良くなるぞ」というクリスの言葉が希望で、
赤札仁王尊周囲のみだけではなく、都の全地域で、
どうしたら、個々の事業が、より地域への恩恵、全体への貢献となるか、
もっと教えを受け広めたい、その機会が欲しいと切に願っている。
こうして、星に願いを〜〜〜★〜☆。.:*:・'°☆。.:*:・'°★°'・:*
どうぞ、次回をお楽しみに〜〜それでは(*^^)/~~