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*よりハッピーになる微笑み空間をつくりましょう!!*
-・-・15の幾何学的性質・-・-・
「NOT - SEPARATENESS 分離していないこと」
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雨の中、紫陽花が煙るように美しい季節ですね。(*^o^*)
お元気ですか。
いつも、読んでいただきまして、ありがとうございます。
さて、今回は、です。今回は「生きているプロセス」から生成される「生きている構造」に、
結果として備わる幾つかの性質、15の性質の内、
遂に最後の「NOT - SEPARATENESS 分離していないこと」ついてです。♪♪(^o^)♪♪
(The Nature of Order 1 p.230〜p.235 http://www.natureoforder.com/)
下記から写真を見ながらご覧頂けたらハッピー!!
クリストファー・アレグザンダーは、こう始めています。♪♪(^o^)♪♪
「遂に、それらの性質の最後は、おそらく最も重要な、
「 NOT - SEPARATENESS 分離していないこと」、「CONNECTEDNESS 一貫性」です。
分離していないことの意味は、全体性の度合いに従って、
全く単純に、私達が、世界と一体であるものとして、
世界と縁が切れていないものとして、生きている全体を体験するということです。」(^_-)-☆
さぁ、素晴らしい例の写真を観ながら進みましょう。
このA0サイズの大きな写真は、
あの前線基地の司令部のような、
バークレーのベースメントオフィスの仕上げていない壁に貼られていました。
「私が取り上げている分離していないという性質の最も美しい例の一つは、
7世紀、唐の雁塔です。とてもシンプルで、とても調和的で、その周囲と縁をもって、
そお周囲から際立つことなく、控えめにその周囲に溶け込んでいます。(^_-)-☆
けれども、この全ては、その性格や個性を諦めることなく成されているのです。(^_-)-☆」
どうぞ、写真で堪能しましょう。
「この反対の例として、生命が欠けているものが、
全体となっていない時、
世界からそれ自体から縁が切れているものとして、それを体験します。
それは、際立っています。分離の極端なものは、
この性質において最も失敗しているものとして、写真の住宅が示されます。
この家は、全く、絶縁しています。際立つようにと故意にです。
そして、自己中心性の無様な勝利として、際立っているのです。
それは、この分離していないという性質において、全く、失敗しているのです。」
「この性質が一体全体何か構造的用語でまとめてみましょう。
深い生命をもっているどんなセンターも一貫していて、
感覚として、その周囲と繋がっていて、切り取られていることなく、
絶縁することなく、分離されていないということがいえます。(^_-)-☆
深く一貫した一つのセンターにおいて、そのセンターとその周囲の他のセンターとの間で、
分離するところが無く、言い換えれば、深い縁があるのです。(^_-)-☆
それで、多様なセンターが別のと溶け合って、分離できなくなるのです。
各センターに起こる性質が、それが全体の世界へと繋がって、一貫していく度合いなのです。(^_-)-☆
これは、遂に、おそらく、全ての中で最も重要な性質なのです。
私の形と建物との実験において、他の14の性質は、センターが生きてくる方法で、
完成された、美しい、決定的な、微妙なものにセンターをするでしょう。
しかし、この15番目の性質無しには、たびたび、どうにか奇妙に分離されてしまい、
周囲から切り離されてしまい、孤立して、その孤立した中で無様で、
あまりに傷つき易く、あまりに鋭く、おそらくあまりに詳細に描かれていて、
結局、あまりに自己中心的で、なぜなら、それは、こう叫んでいるからです。
「私を見て、私を見て、私がどんなに美しいか見て」と。」
「これらの、癒す力をもった、ずば抜けたもの、
本当の全体性の深さと内なる光は、決してこのようではありません。
それらは、決して縁を切らすことなく、いつも一貫しています。
それらと、普通に、一つのものが、どこで切れて、またどこから始まるか、
本当に言うことができないのです。(^_-)-☆
なぜなら、事物はその周囲の世界の中に煙のごとく溶け込んでいて、
それ自体の中に、この世界が柔らかく描かれているからです。
それは一貫しています。空間の連続性を主張しています。
私たち全ての連続性、花咲く野原に夢見心地でかかる朝霧のかすみのように、
テームズ川の谷の上、夢見るオックスフォードの尖塔のように。」
「この性質は、結局、ひとつの態度から起こってきます。
もしも、貴方がつくっているものが、自己充足であると信じるのであれば、
もしも、貴方がどんなに賢いか見せようと試みているのならば、
その何かに美しさを主張させるためならば、
分離しないという性質を失って、失敗しするという間違えに陥るでしょう。
貴方が、事物が周囲から突出することないようにと創る意識、意志をもつならば、
世界への正しいつながり、一貫性がもたらされるでしょう。
それは、本当に、どこで終わって、どこから始まるのか言えないもので、
そう出来るようにしようとさえ思わないのです。」
どんどん素晴らしい例を観ていきましょう。
「このルールの洗練されたバージョンは、このルールを適用すると、
それ自体が何度となく繰り返して起こるのですが、
優しい夜霧のような雰囲気をかもし出し、
それ自体の内に、一緒の全体として束ねて、
一部分があまりに誇らしげにならないように、
隣に対してあまりに鋭く突出しないように、
しかし、ただ近隣の内で各部分が溶けて、その全体も各部分に溶けるようにと確かにするのです。
これは、加えられる線や響きが、その内なる緊張の下でそれが不統合となることがないように、
事物の全体性が保たれるのを助けるところで、黄金色が、助けるところなのです。
その構造的特徴は、おそらく、最たる楽さ、分離していない癒される感じですが、
唐突さ、ぶっきらぼうさ、鋭さが無いということです。(^_-)-☆
この性質を持つものは、全くの平和な感じで、
なぜなら、それが、その周りの世界にあまりにも深くつながりをもっているからです。
この性質は、幾何学的に、特に境界、バンダリーの段階で拠ってきます。(^_-)-☆
分離していない性質を備える事物において、直線が途切れている、
たびたびバラバラになった境界、不完全な端があります。
最も美しい古いカーペットの多くも、あたかも窓のように、
不規則に介入される無限のパターンを持っていて、
デザインの自己完結性の感覚をも壊しています。
たびたび、境界における段々の変化、スケールが小さくなっていく段々の変化によって、
柔らかい端の感じをもたらしいてもいます。
それで、端でも次に隣り合うものと、はっきりしないくらいに溶け込んでみえるのです。
これが何故、端で段々にスケールが小さくなっていくような段々の変化があるかなのです。
ハードな、きつい端を避けるためなのです。(^_-)-☆
最後に、時々、境界はむしろ無頓着で、
その周囲からその物を切り取るどんなシンプルな完全な形を避けるということになっています。
こうした実際の境界における不規則性が、
その事物を世界と縁をもつ、一貫することを許しているのです。(^_-)-☆
ゴーギャン作の湖の絵画や、日本庭園の敷石は、この性質が備わるものののレベルの高い例です。」
と、結んでいます。
いかがでしたか。
どうぞ、写真を楽しんでご覧下さい。♪♪(^o^)♪♪
より、詳細は、「The Nature of Order」を下記よりご購入の上、ご覧下さい。
http://www.natureoforder.com/
貴方の身の回りでは、この性質が感じられるものはありますか。
最近、地域の子供たちの安全を懸念する日々です。
都会でも、郊外でも、地方でも同じ子供たちを脅かす現象が起きています。
それぞれ、異なった環境ですが、共通しているのが、
車社会による、生活環境の分離、家と道のハードなエッジ、
人目があるところと無いところの唐突な変化があるのではないでしょうか。
カリフォルニアでも、地元では知られた、すぐ隣の街区は麻薬売買があるような危険なところ、
ペンシルバニアでも、その地域は仕事に就けない若者がたむろす所とか、ご多分にもれずにあります。
小学生から高校生まで、スクール・バスで通い、低学年は必ず家のものが迎えに来ているという具合です。
勿論、パパかママが出勤途中で送ることや高学年となると自転車通学も当たり前ですが、
道路事情、密度が全く違っています。同じ対処方では、無理がありますね。
やはり、住宅街全体が、お屋敷街のミニチュア版になって、
伝統的路地文化が失われ、就業は自宅外が当たり前という社会全体の問題で、
高齢者が家に篭っているだけの空白の街、
何か起きても、青年壮年は居ない時間帯ならば、
警報しても、警察が来るまでに逃亡される時間は充分にあるので、
誰かが何らかの被害に遭わなければ事件にならないような事態です。
子ども達も、安全第一と、命が一番大切なのですが、
大人達の安心や責任転嫁のためか、やたら安全警報や、「気をつけなさい」といわれ、教えられ、
神経過敏となり、内面的成長になにか多大な負荷を押し付けている気がします。
我が子には、きついかなと思いつつ、誘拐とは何か、言葉ではなかなかわからせることもできず、
メル・ギブソン主演の「ペイバック」を小学校入学時に見せてしまっています。
全く狙われるような富豪ではないのですが、危険ということをわからせる為に。
また、今年の春から我が子に自転車を解禁にしました。
学校での交通安全教室を受けてから、必ず保護者同伴で、路上にも出るようになりました。
運動神経は問題なくとも、直ぐにファンタジーの世界に入ったり、
自転車を走らせること自体の楽しさに浸りがちで、交通事故の危険が多いので
、一人や子供同士で路上に出るのは、まだ禁じています。
それまでに、なんとか、地域環境の安全を確保したいところですが、
より良い車と自転車と歩行者の関係を導き、実際の環境に反映させるには、
まだまだ時間がかかりそうですね。
数年前から自治省でも共生のまちづくり、歩いて暮らせる街など、
推進していますね。ロンドン市街でも、
全て歩いていける全体的都市環境、各地域の連続性を押し進めていますね。
地下鉄・バスのテロ事件があってから、なおさらでしょう。
現在、英国を拠点に活動しているアレグザンダーたちのフィールド・スタディから、
彼の結論は、この分離しない性質が顕著に表れている、車と歩行者の空間が、
空間として分かれていても編み込みのように繋がって、
連続している図式が最良であるということです。
身近な生活環境で直ぐにでも解決するべきなのは、
交通事故多発地帯である、幹線道路と生活道路のハードすぎるエッジ、端です。
ここでは、交通規則を守っている子供やお年寄りでも、
トラックなどの大型車両との接触で、死亡や重症事故となっているところですから。
一方で、解決法として、集配所の設置と車両の切り換えをしている、
住宅街で、リヤカーを引いて最終的にお届けしているヤマトの試みは、大変素晴らしいですね。
流石に現場を知っていて、その声も生かせる貴重な民間だと、やるな〜と感心しています。
赤帽くらいの小型車と考えていましたが、もうリヤカーなのですから。
近所のお豆腐売りもリヤカーを引いています。プファ〜とのんびりと鳴らしながら、
地域の人に道を聞きながら。21世紀ですね〜〜。♪♪(^o^)♪♪
どうぞ、次回をお楽しみに(∩o∩)ノ
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