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   *よりハッピーになる微笑み空間をつくりましょう!!*
 
  ・--・ 15の幾何学的性質 ― ラフネス ― ・--

 

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日差しが明るく春めいてきましたが、お元気ですか。(*^o^*) 

私は、子供の頃以来で、何?十年振りかで、流感に罹ってしまいました。

私と同じように看病しようという我が子の可愛い優しさと成長を感じて、

ハッピー!!な機会でした。

 

いつも、ご購読ありがとうございます。(*^o^*) 

さて、今回は「生きているプロセス」から生成される「生きている構造」に、

結果として備わる幾つかの性質、15の性質の内、

ROUGHNESS―ラフネス、未完成さ」についてです。♪♪(^o^)♪♪

(The Nature of Order 1 p.210p.215)

C・アレグザンダーはこう始めています。♪♪

「本当に生きているものには、確かなゆったりとした感じ、

形態学的な未完成さが備わっています。

これは、何か偶然に起きたことではないのです。

何か、技術的な拙さから起きたことでもなく、

手仕事ためというわけでもなく、

不正確さから起きたことでもないのです。

それは、何かがひとつの全体であるために欠かせない、

本質的な構造的特徴なのです。

 

ペルシャ碗がその良い例を示しています。

その内部は、二つの丸と二筆による小さな柄で構成されています。

その個々の柄はとても素早く描かれています。

その碗を見るとき、

それらの柄の、もちろんそれぞれ同一ではないのですが、

その配置の美しさに打たれます。

それらは、ゆったりとした感じで、個々の描かれた大きさ、

その適切な配置、適切な形、

ひと筆から隣の筆までといった全ての様々な適切なストロークが、

連続して、一貫してデザインを織り成しているのです。」(^_-)-☆

 

どうぞ、写真をご覧ください。

柄が、碗のカーブに合わせて、又、その為でもなく、

疎になっているところと密になっているところがありますね。

 

「この微妙なバリエーションが、

この碗の魅力と調和のために部分的に任を果たしているのです。(^_-)-☆

ただ、繰り返しになりますが、

私たちがそれについて、ハンドメイド故の魅力とか、

人の手による拙さや安易さと誤解する傾向を持っています。

その解釈は、その理由を強調しすぎて誤ってしまっているのです。

そのデザインが、その碗の全体性に、かなり多大に貢献している理由は、

ここに用いられている完全な三角グリッドで、

それは完全に球の面に密着して占めて行くことは出来ないのです。(^_-)-☆

若しも、デザインが同一の柄や単位で、同一の配置の仕方で構成されていたら、

碗が底に近くなるのつれてすぼまっていくのに、

その三角グリッドそのままでは破綻をきたします。

故に、例えば、

碗の中心、底に近づいて数学的三角グリッドの不可能を乗り越えて、

筆のストロークをすぼめた柄で、

またその間隔も狭くして応じているのです。

若しも、デザインが完全に規則的ならば、これは不可能でしょう」と。

 

更に、「本当に、全体を通して、

筆のストロークの太さやその置き方のバリエーションが、

その場その白い空間で最も美しく適切で、

描く人はそれ程考えることもなく、

しかし、目と指がよく合いながら働いているのです。

全く同じ柄が、均等に置かれたら破綻をきたすところがです。」

 

さあ、もっと同じ様な良い例を見てみましょう。

カイロのモスクのカーペットの美しさを見てみましょう。

「・・・・縁のボーダー柄の角で、不規則性が生じています。

デザインが破綻して、ただ、ボーダーが重なっているか、

継ぎになっているようです。

これは、注意の無さや不正確さから起きていることではないのです。

その図と地のポジティブさや、ボーダーの交互の繰り返しや、

それぞれの柄の形やそれから生まれる空間の美しさ、

そうしたことに、織り手はかなり注意を払っていて、

その結果として、ボーダーの在り様は、「適切」なのです。(^_-)-☆

そのボーダーの長さ、

構成の方向転換をその角でするのが適切であったのです。

・・・そのラフネス、未完成さ、ゆったりとした感じ、構成の粗さは、

より正確なもので、デザインにおける本質的な中心性を、

より注意深く護るものだからです。(^_-)-☆

 

もうひとつこの生きている構造が備える性質のひとつ、

ラフネスの本質的特徴として、(身を任せるような我の)断念があります。

ラフネスは、決して意識的に、何か創造的に生まれるものではないのです。

・・・」(^_-)-☆

 

ここで、アレグザンダーは、理解するためのエピソードで、

民芸の柳宗悦の体験話を取り上げています。

若き宗悦が、はるばる畏敬の念を抱いていた、

朝鮮の碗をつくる老木工に、まだ生木でそれらを創っているのを見て、

「これでいいのか、

ひっくり返してみると底から樹液がまだ出ているのに」と尋ねると、

「いいんだ」と老工の黙々と仕事を続けながらのそっけない返事。

更に勇気を持って「これでは、いくら懸命に作っても、

割れたり、皹が入ったりするだけではないのか」と尋ね続けると、

落ち着いて「時々はね」と。

「割れたり、皹が入ったりしたとき、そのときは、どうするんだ」と聞くと、

「継ぐのさ」と老工は穏やかに、

仕事を続けながら応えたのであったというエピソードです。

老工が、碗の製作にかなり注意を払って、専念した結果、

たどり着いた方法なのですね。(^_-)-☆

パニックになることなく、ひどく心臓に負担をかけるようなことなく、

彼は、深く落ち着いたものです。

そうして、その碗が、すばらしく美しいのです。

こうして、未完成の粗さから、その碗が息づくことが出来るのです。

この無心さ、我の無さがラフネスの本質的な特徴ともなっているのです。(^_-)-☆

 どうぞ、写真の伝統的建物やタウン・プランの例も、ご覧になってください。

完全な形故の、このラフネスが、深く見えてくるのです。


 

こうして、見てくると、何か、「大丈夫だ〜」と楽な気持ちになれ、ハッピー!!

皆様はどうでしょうか。

あまりきっちりしていても、神経症的、病的に緊張感を与えてしまうだけで、

「微笑み空間」からは離れてしまうのですね〜。

建物の修復、住宅のリフォーム、まちの修復を考える場合も、

この性質は欠かせないものでしょう。決して注意を払わないのではなく、

調和やバランスを考えて、全体を成り立たせ、

命の素のような中心性を強めていくためなのですね〜(^_-)-☆

 

次回は、「ECHOES − 反響」です。♪♪(^o^)♪♪

どうぞ、お楽しみに(∩o∩)

 

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