Studio for Smiling Space Mail Magazine vol.16
2003年9月25日号 メールマガジンNo.16
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*よりハッピーになる微笑む空間をつくりましょう!*
・-・-・鏡の中の自分・-・-・
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いつも、ご笑読頂きまして、ありがとうございます。(*^o^*)
もう、明月の秋。
日中は残暑でも、夕方は涼しく、過ごし易い季節となりましたが、
お元気ですか。(*^o^*)
さて、今回は、私達が「私達が生きているという自然現象」により忠実になると、
私達の使う椅子や、花瓶、部屋や建物、道といったものも、
「私達が生きているという自然現象」に忠実になるということについてでした。
貴方が関わる、貴方の気が注がれる全てが、調度「鏡の中の自分」のように、
自分が投影されるのです。(^o^)
本当の自分を見つめると、自分の中の構造、心が、自然の構造と一致し、
自分が願うもの、作るものや建物の中に、自然のシステムの性質、
生物的な生命を含めることが出来て、心身ともに、自分全体が、
生物的にも健康になれるのです。♪♪♪(^o^)♪♪♪
そして、「よりハッピーになる微笑み空間」をゲットできるのです。
こうしたことが、歴史的に、建物や芸術品の中に起きています。
新たに、私達が生み出すもののが、そうなるように、
そこから学びとることが出来るのです。(^_-)-☆
全てが溶け込んでいる全体、驚きや畏敬とともに、
秩序の最も深い経験を作り出すのです。
この全体性に、「生命、いのち」が宿るのです。(^_-)-☆
私達が、皆もっている人間らしい感覚は、
様々な意見や個性の混乱の中で、見失われがちです。
本当に自分の時間を生きて♪♪♪、
心を込めて何かをしたり、何かを作ると、
その事や物にも心が宿り、それが、
他の人の心を打つ。ハッピー!!!
当たり前で、難しいことですね。(^o^)
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このいのちを見つけだし、または、つくり出すのに、
私達の今日の状況の中で、
そのポイントは、
★☆「快適な普通さ」★☆と★☆「イメージの拘束からの解放」★☆
ということです。(^_-)-☆
普通であると、大事にされないのでは、埋没してしまうのでは、
また、イメージの洪水から抜け出ると空っぽになるのではと、
不安になるかもしれません。(^-^)
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シャツ姿の人、作業場の旋盤、運送トラック、
ガソリンスタンドがカフェに換わっていたり、
長持ちするようにと大分前に作られた歩道の舗装だが、
ささやかな植栽もあってプライドが感じられたり、
少し古びた籐長椅子、デスクの壁にピンで貼られた写真、
店のウインドウの一部にある絵、
大勢が取り囲む盆踊りの中心にある台、
二人がお昼を食べている倉庫の荷積みスペースの日向……
こうした生きることをサポートする普通のことが、
こうした生の本質的なことが、大量生産品、
私達がつくり出すものの中でも、
起こりえるように願うのです。(^o^)
そうして、全体性から、命が湧き出してくるのです。♪♪♪
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裕福であることが、こうした命を生み出すことの条件なのではなく、
逆に、空虚になってしまうこともあります。(^-^)
一方、普通の貧しさ(貧困ではなく)の中に、この命の強さが感じられたりします。
この違いが、
これまでの立派な都市計画と建築デザインの成果としての集合住宅よりも、
生きるということをサポートする、生きるための必要性から、
皆が、それぞれ必死でゲットしてきた、
自然発生的に生まれたスラムの方が、強い命/ライフをもっていると、
感じられることがあり、それが長く在り続ける、存在力にも成り得ます。
時間をかけて、改善し続けることによって。(^o^)
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作られた住環境、集合住宅では、
駅前の皆が集うはずの広場が駐輪場と化したり、
集会室の管理が面倒で、皆が自然に話す場がなく、
コミュニティ/地域社会がぎこちなく、
知らない人々、「私は関係ない」という人々の集まりになって、
どこのスペースも自分化することが出来ず、
感じやすい思春期の子供は、それでも自発的に自分化をしようとすると、
大人や管理者が言うところのラクガキに走ることになるのです。(^-^)
こうした生物的に健康である為の、
生きる強さを押さえつけられてしまうのです。ヽ(`Д´)ノ
それでも、その圧力に抵抗し続けていく中で、
20世紀後半には、世界的芸術家や、アーティストも生まれてきています。
迷惑にならないように通勤時間前の1時間くらいでも、
スケート・ボードをする場所を何とか確保しようと、
公共スペースを有効に利用しようとします。
小さな子供は憧れの眼差しで見つめ、
練習することの大切さを身近で学んだりします。♪♪♪(^o^)♪♪♪
それを、迷惑になるからと他の場所を用意することも無く、
一方的に禁じられ、それが10年間近くも続き、
禁じ方もどんどん陰険になって…。
土地の有効利用、経済的効率性、一気に儲かるということで、
高層化になっているので、お年寄りは、
「毎日適度に歩くのが大切ですよ」と主治医に言われていても、
重い鉄扉を押し開けて、エレベーターという機械の操作をして、
地上に降りるのが、億劫になりがちです。(^-^)
人とすれ違っても、余りに多くの人々なので、
知り合いをつくることも、知り合いを見付ける事も大変だったりして、
人が冷たく感じられ、ついつい若い人の荒さがしをしてしまったり...
「スケート・ボードは迷惑だ、
自分達のゲート・ボール場だって禁じらたんだから」と。
幼い子供の母親も、台所やベランダで家事をしながら、
庭や路地で遊ぶ子供を見守るという柔軟な生活は不可能で、
地上に下りていくとなると、それなりの気構えと、
見守るということにかかりきりになり、時間が気になってしまいがちに...。
子供は、見守られている中でも、自由に感じられる、
多少のイタズラをして何かを発見する、解放される機会が
減ってきてしまうのです。
子供の主体性が育まれる機会を奪ってしまうのです。ヽ(`Д´)ノ
母親にとっても子供にとってもストレスです。
高層化によって生まれた、広々としたオープンスペースも、
高層建物の影の下であったり、ビル風にさらされ、
芝生や植え込みや樹木はあっても、どこか他所他所しく感じられ、
管理されているだけで、庭の様な暖かさが感じられません。
公設民営と言われ、管理を任せられても、
はじめから、ユーザーの声は無視して、
経済性を追求して作られているので、
「つくった責任を押し付けないで、儲かることだけ考えて、
机上で、手間を省いてつくられたところで、
その後の面倒から逃げるの?ヽ(`Д´)ノ」
という声があります。
ツイツイ面倒を押し付けられないようにと、
疑い深くなり、逃げ腰になります。
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逆にスラムでは自発的に管理運営されるのです。♪♪♪(^o^)♪♪♪
次には、屋根を修復しよう、壁を塗り替えよう、物干し台を作ろうと
常に手入れをし、ボロ屋でも愛着が湧いてくるのです。
隣との関係などで、何かもめると仲裁に入る人が出て、
自然にリーダーも生まれてくるのです。(^o^)
猫の額ほどの庭でもよく手入れされて、
ご近所との憩いの場になったり、
散歩しながら、眺め、挨拶し、立ち話をし、
滑らかな近隣間係になります。♪♪♪(^o^)♪♪♪
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私事で恐縮ですが、私の場合は、
シカゴの20世紀初期からあるような、
10畳位のエレベータ・ホールに、皮張りのソファがある様な
オーナメントも美しい8階建高級アパートメントでも、
短期間は耐えられても、部屋の窓から樹木と空が見えないと息詰まって、
ストレスで、不機嫌になりがちで、病気になるといって逃げ出します。
「ハワーズ・エンド」(映画のタイトル)に出て来るロンドンの老婦人のように。
一方、昔ながらの集落で、いつのまにか隣のおじさんが、
家の中に居て、「おい、かあちゃん」と言われても、
すぐに「勝手に入らないで下さい」ヽ(`Д´)ノと抗議し、
びっくり眼で変人扱いされ、転居したのです。
今でも、一緒に食べる空間は無くとも
コーハウジングっぽい3階建て集合住宅に暮らしていますが、
カナダ人や、タイ人、中国人、フランス人、日本人の
価値観や常識の差があって、面白くもありますが、
我が子のつもりで「お帰りなさい」と言って、
しばらくしておやつを持っていくと、
子供の机に他所の子がいて、「内の子は何処?」(?_?)と不安になり、
やはり、常識の差が大差であると、
とても居心地悪く、不気味にさえ感じられてしまうのです。
モダンな集合住宅でも、大きな樹木が無く、植え込みだけなので、
コンクリート壁で囲まれた中庭に、
マナーを気にしない年配の日本人の向かいのトイレの窓から、
生理音まで反響して聞こえて来てしまうのです。
それでも、耐えて、何とか窓を開けるという主義を守っています。
実際エアコンが苦手で、冷風扇くらいが調度良いので。
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経済性、実現性と生活の質をいかにバランス良くとっていくか、
「快適な普通さ」を得ながら、
このバランスをとっていく中で、余計なものを省く中で、
「イメージの拘束から自由」になれるのです。(^_-)-☆
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本当の自分、自分がより自由に感じられ生き生きと出来る時、
何かの空間や物に対して、こうした自分により近いのはどれか、
見つめて選択し、無ければそのように作り変え、又は作ることによって、
それらが、調度「鏡の中の自分」のように一体となり溶け込んで、
貴方の生きる場が、「微笑み空間」となるのです。(^_-)-☆
貴方自身が微笑んでいるように、
その空間自体が微笑んでいるように、
誰にでも感じられるのです。(^_-)-☆
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例えば、建替え工事にあたって、
もう年をとったので、家のメンテナンスも自分でしていくのは大変で、
年金暮らしで、将来そのための出費も痛いので、
広告にあるように、屋根や外壁や窓枠は、
メンテナンス・フリーの材料にしようと考えます。(^-^)
しかし、今まで暮らしてきた、柔らかく暖かな感じの、
年取った自分のような家に愛着を感じてしまって、
とても壊せなくなってしまう。迷った挙句、
やはり、啄木鳥にやられるかも知れなくても、
杉板張りの外壁に、木製建具を選んでしまうのです。
そして、誰かが、メンテナンスをしてくれたらと、
願いを託し、若い人に食事をご馳走するかわりに、
ちょっとしたメンテナンスを頼み、
異世代間の交流も生まれてハッピー!!!
また、建物、家そのものだけが、
生きるということをサポートするのではなく、
庭の池のアヒルや、茶花なども全体から命を生むのに、
欠かせないのです。(^_-)-☆
子供とっては、自分が貼ったお気に入りの小さなシールだったりして、
それは、他の人の心に響くもので、
小さな自分が投影されているのですから。
自分と同じ様に風雪をくぐって年をとり、
でも外壁や屋根を塗り替える度に、風格を醸し出し、
そこに在り続けている威厳と永遠の営みから、
自然の秩序と同じ深い質が感じられるのです。(^_-)-☆
若い人も、そうした質に畏敬の念と憧れを抱き、
安堵感すら感じられるのです。(^o^)
上目黒にちょっとしたスポットがあり、
木造モルタル2階建ての建物を、
子供の貼った小さなシールまでそのままに、
元在った姿を生かして♪♪♪、
耐震補強を兼ねて、鉄骨フレーム・テラスを付加して、
オープンスペースを創出し♪♪♪、
コミュニティの核にもなり得るような、
ブティックやカフェになっているのです♪♪♪。
素晴らしいです!!!
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆☆★☆
こうした空間の連なりを、数珠繋ぎのようにしていくことで、
コミュニティも居心地良くなるのです。(^_-)-☆
この数珠が「全体の核」のようなのですが、
その核を強め、生き生きさせることで、
まち全体が生き生きとした質、命を持ち、
「このまち全体が、微笑んでいるみたい」と感じられてハッピー!!!
店主が心配することも無く、
そこで新しい商売をしたい若者が出て来るのです。(^o^)
いかがでしょうか。
貴方の周囲の空間は、本当の自分を投影した、
「鏡の中の自分」のように自分化されてますか?
次回はこの数珠繋ぎの数珠のような「全体の核」について、
より具体的にお話ししたいと思います。
それでは、お楽しみに。(∩o∩)ノ
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